日記

にっき

ココスのボロネーゼは薄味

シムシティ飽きて来た。

 

これ資本を元に拡大し続けて市民増やして税金分捕るの繰り返しやんけ!

資本主義やんけ!

 って感じてしもうた。社会主義とか他の経済体制と比較してみたいや。

 

というのは置いといて本日は

最終オーデでした。

 

今年のCLクソとか言ってたけど技術面では完全に死んだ訳では無いとは感じました。主に15期の功績。

 

外部審査員の総評は

  1. 客に見せることを意識できているか
  2. 何を伝えたいか、何を使って何を選んでいるか
  3. パーカス刻みすぎ、音弱い
  4. リードの技術が高いがコーラスに埋もれたりコーラスが雑になってたりする

 

とか色々でした。録音録ったんで時間あるときに文字起こしします。やらなそうだけどHAHAHA

 

(というわけでこの行からパソコンで打ってるよ!!圧倒的効率)

と、お話を聞いたりこれまで読んだ講評やjam2016観覧時に気付いた「曲内での抑揚」と「コンセプトの深化」、すべてを集約できるのはscsの高木さんがどっかで書いてた「共有」なのではないだろうか。ちなみにこれ思いついたの田無の駅前です。

 

まず基礎の範疇に入れられがちな「発声の共有」や「リズム共有」「コーラスの発音」がすぐに挙げられる。

その先に「コンセプト」や「曲展開の中でのテンションの上下」、「歌詞解釈」などの要素があるし、他にもメンバー内で統一させるべき事案はいくらでも湧いてくるだろう。

 

もう一度原点に戻ればメンバー集めや選曲、アレンジの時点でメンバー内での綿密な意思疎通が必要ってわけだ。

 

さらに掘り下げていくこともできる。

「バンドとしての目標」「メンバー間での志気」etc...

 

ここで気付くだろう。

どう考えても無理だ。

 

あくまでもバンドだのメンバーだの言ったところでヒトとしては別の個体である。どこかしらで譲歩が必要なわけだ。

 

正直なところ「似たような趣味嗜好・実力・志気」が揃えばある程度の性格等の不一致は耐えられるだろう。極論を言えば上手い人間集めりゃサークルライブの最終審査くらいなら通せるだろう。(出たことないけどな。)

 

まーたいつものアレに戻るが「やりたいこと」「目標とすべきステージ」が定まっていればいいんじゃないだろうか。

 

とまあ話を広げたところで自分に身近な範囲に目を戻そう。

共有云々以前に基礎の音感もリズム感も発声もボロボロじゃねえか。特に同期男子。

 

オーデで気付いたけど

3年同期:1

2年同期:3とか

という惨状である。歌える男がいないとこうなる。ファッキン。来年まじで運営やら治安怪しくなるんじゃないだろうか。あーもうめんどくさい

 

正直同期ヤロバンに期待するのはアホなので後輩ズとがんばろう。うん。

 

帰りにココス寄ったけどボロネーゼが味無さ過ぎてビックリしました。田無という町は謎が深いですね。田無のファミマつぶれたのありえん痛手

 

とまあ、シムシティしてアカペラ聴いてゴチャゴチャ考えてココスで飯食ったら一日終わりました。